2003.9.14 第8回日本ALS協会全国講習会交流会新潟大会
シンポジウム<それぞれの立場でALS患者家族のQOLの向上を目指して>より
「心のケアの立場」から
講師の後藤先生は長く犀潟病院で難病患者家族の心のケアに当たって
こられました。臨床心理士としての経験をふまえて看護介護専門職の研修
指導にも熱心で、ALSの心理的サポート研究と実践の第一人者です。
<病気に立ち向かうとは>
新潟青陵女子短期大学教授 後藤清恵



はじめに

後藤でございます、よろしくお願いします。
私は、以前は医療の中で患者さんの心のケアに当たっておりましたが、現在は大学で心理学を教えています。今日は「病気に立ち向かう」というテーマをいただいて、私のような心のケア、あるいは心について考える立場の人間が皆様にお示しできることはわずかですけれども、聴いていただきたいと思います。お話しする内容は、これまで臨床の中で体験し、患者さんから教えいただいたことが全てでございます。今日ここにご参加下さっている皆様、とてもお元気でむしろ、私の方がエネルギーをいただいているように感じるくらいですし、皆様にはすでにわかっていることかもしれません。どうぞ確認していただき、後でご意見を下さいますようお願いいたします。

心が苦しいということ
それではまず、一般に私達の心が苦しい時にどのようなことが起こっているかについて考えてみたいと思います。心が苦しいというのは、自分の置かれている現実の状況と、こうありたいという願望やこうゆうふうでなくちゃという信念との間に横たわるズレによって引き起こされると考えています。皆様の場合に病気によって様々なものを失うということ、つまり身体の機能や人間関係、社会生活や仕事を含めて、自分に関係する内容です。ALSは進行性です。渦巻状の喪失という、一つの喪失に続き次の喪失が訪れるというような、引き続いての喪失に見舞われます。このようなことを体験する時に人間としての価値が失っていくように感じてしまう、生きて存在する意味がないのではないかと今までの人生をも否定してしまうような思いが心の中に生まれるのです。心の願いと逆行する現実が心を苦しめて、心がもがいている状態と理解されるわけです。

患者さんの心構え
それではどのような援助が、この状況にある方たちを助ける道を開いてくれるのでしょうか。それは先程、中島先生がおっしゃった、オートノミイに繋がる内容だと思います。多彩な日常の中で自分の意志で選べる領域を少しでも作り、提供することで、コントロール感の維持を目指すことが重要な鍵であると考えています。身体の機能を失うことで選択の主導権まで失うのではなく、日常生活の具体的なところで、意志表明し、それが現実化されるということによって心の健全さと意志を持つ人としての価値を保障できると、そんなふうに思っているわけです。
もう一つの鍵は、価値を外面的なものから内面的なものへ移行することです。私達は目に見えるものに影響を受けやすい、これが弱さでもあるし癖でもあります。ALSの皆様が示して下さっているものは、外面的なものを失う、つまり機能を失っていく中での人間の価値や意味の極限です。皆様がここに在るだけでいいとたくさんのご家族が言っておられますし、また、先程の基調講演で西沢先生がヒラ仮名で打ち出した患者さんのメッセージを紹介されましたが、まさにその中に表れておりました。
以上、患者さんの心構えとして私が理解していることを述べさせていただきました。

ご家族の心構え
次にご家族の心構えについて述べさせていただきます。私はこれまで、サポートグループという取り組みを実施する中で、ご家族の皆様が日常お感じになっている事柄を自由に語り会える場を持って参りました。そうゆう経験から理解できた内容をお示してみようと思います。まず、家族の中に慢性で、進行性の病気の方が出現するとはどのような事態かについて考えてみますと、家族は多大な影響を受け、急速な変化を要請されます。家族メンバー一人一人の生活、経済生活、また地域との関わりを含む社会生活も大きく変化しますし、家族の生活全体が大きく動かざるを得ない容易でない事態なのです。ここに家族における喪失の問題が生じてくると理解できます。進行性で今のところ治療法がない病気によって、ご家族は予測される未来を生きているということです。予測される未来を生きるとはどのようなことかといいますと、病気になった大切な家族が、今後どのような経過を辿っていくかに、多くの情報を求め、また告知の内容と照らしながら、辿り、予想していくような、つまり現在の生活がこの後どうなって行くかについて、病気の本人は当然ですが、家族もまた未来を予測し、その不安に怯えながらの生活が始まるということです。緩やかながら身体的状態に悪化が起こり、予測の的中が追い打ちをかける時、家族は慢性的な不安に脅かされることとなります。

では、不安感によって心がどのような経験をするかについて考えてみます。二つの内容があるように思います。一つは孤立感です。これまで家族内のコミュケーションによって、日常性的な様々な内容を共有してきたけれど、次第に相互的コミュニケーションの維持が難しいことを実感し、家族が自分の率直な思いを語る相手を失い、孤立していくようなことです。介護に追われる日々は、家族内の他のメンバーとの語り合いも減少し、また地域への様々の活動の参加へも不可能になり、他者との時間の余裕もなくなって参ります。物理的な問題もありますが、自分の中で我慢し耐えなければならないという思いが強ければ強い程に孤立感を味わうことにつながるのです。
もうひとつは親密さということです。不安になった時に、私達が何かに没頭するとか、誰か受け止めて欲しいと願い、他者に近づく行動があります。人との距離が縮まってまるでそれが自分であるかのような存在を求めるということです。親密さの求めに潜むこの一体感については、介護に自分の全てを投げ入れていく行動となり、頭が下がり、またいたしかたない現実もあるわけですが、一方で家族の個人生活の放棄とも言いうる事態となってしまうわけです。

さて、次に触れたいことは、家族を縛り、不自由にする3つの事柄です。
一つに無力感です。ALSという今のところで根治治療がない状況の中で、為す術のない状況に立ち向かう時、私達は自己効力感という自分が機能して役立つと言う感覚を失うのです。これが無力感です。そして、時には、家族に鬱的な心を生じさせる状況にも繋がって参ります。
二つ目は家族の責任感です。ここにご出席の御家族もお互いに支え合っておられます。自分がいなくてどうなるかと、そして、この生活を支えていくことが自分に課せられた役目であると強く思っていらっしゃると思います。責任感は人間としての非常に大切なものですが、過剰になった時に私達の心に罪の意識、罪悪感を生みだすのです。自分が役にたたない、自分が怠けたり、休みたいと思う時に自分を責めてしまうという、そういう扱いにくい内容も含んでいるのです。
三つ目は、怒りです。罪の意識を感じた時に生みやすいものですが、それだけではなく、避けようのない感情と考えていただきたいと思います。誰に向けても解決できない、自分にもたらされた宿命に対してこみあげてくる感情です。無力感と交差しながら、心の中で堂々めぐりが起こります。
御家族の心構えとして、最後にお示ししたいのはご家族自身の自分の解放についてです。どうか自分の中に起こる考えや感情に許可を与えていただきたいのです。先程の基調講演で西沢先生がお話下さいましたノーマライゼイションに通じると考えます。当然の思いが湧いているとして自分を許すことです、そして正しく在ることを自分に強いることを一時やめましょう。それから目標を低くしましょう。たくさんのことを自分に、患者さんに要求しないことです。日常の、叶う可能性のある小さなことに取り組んで下さい。更に、人とのつながりが大切です。この様な会にご出席の方々に申し上げることではないのですが、やはり、人とのつながりの実感によって、希望は私達のところに戻ってくるとそんなふうに思うのです。加えて、社会的サービスをどんどん使っていただきたいということです。

関わる人たちに
最後に、関わる人々に、つまりALSと一緒に働いている方々に私からのお伝えできる内容です。多くのボランテアやケアを担う方々にということですが、先程、御家族のところで申し上げたように、無力感、自分は役に立たないという考えは私達の心を無力に陥れます。そして無力であると感じるところには、ある限定した考え方が潜んでいるということです。こうでなければこの人は幸福でないのではと、自分の中に決めてしまっている時に無力感が忍び寄るのです。今、目の前にいる患者さんとご家族、現状にある可能なことを見つけ、喜び合えることです。ケアを担う人に一番大切なのは自分を信頼できる能力です。自分の行動や感情を信じ、評価できることが土台にない限り、他者との信頼感を築いていくことができないということです。ALS患者さんや御家族との関係の中で何より大切なのは信頼であろうと思います。患者さん・ご家族は私達の専門性に会って下さっているのではなく、人間としての私たちに会っていらっしゃると思っています。
それから限界と境界の問題です、これは無力感から私たちを救ってくれるもう一つの内容です。私達ができる力の限度を知っておきましょう。境界とは、一生懸命になる時に、思い入れが進みすぎて、自分と他者の境界を失います。自分の足で立ち、そして目の前に困難を抱えた人がいると、その人と融合してしまわないでいること。ケアを担う人にはとても大切です。この三点をALSと働く人々は、心に留めておいていただきたいと思うのです。
以上でございます。ご清聴ありがとうございました。
                                 (レイアウト小見出し:編集部)