国立精神・神経センター 国府台病院で新薬の治験者募集をしていました。それに手を挙げて参加した中村さんから体験記を書いて頂きました。中村さんについては応援ホームページに詳しく紹介されています。。
国府台病院体験レポート
場所:国府台(こうのだい)病院(千葉県市川市)
期間:平成14年 1/25(金)〜2/8(金)
報告日:平成14年3月7日(木)
報告者:中村 修一
国府台病院で昨年の6月に急性期脳梗塞治療薬として発売されたエダラボン「製品名:ラジカット」(旧三菱東京製薬=現三菱ウェルファーマ株式会社が開発)をALS患者に点滴投与(2週間入院して、毎日午前中にラジカットを点滴投与)して、病気を遅らせる効果があるかどうか、安全であるかどうかを確かめる治療薬検討試験が行われているのを知り、それに参加した報告をしたいと思います。
最初、何故これが分かったかと言うと、次の様な経緯からです。
北海道の吉田雅志さんのHP「前へ」を、たまたま閲覧したら“独自の治験を開始した国府台病院をリンクに追加”が目に止まり、リンク集から国府台病院のALS患者対象の治療薬検討試験がある事を知りました。
そして、日本ALS協会新潟県支部へ行った時にこの事を話したら、「検討試験受けて見たら」と皆さんが後押ししてくれたので、参加する気に成りました。
それから、プリントアウトしたその説明文書を診察時に主治医に見せ、参加の了解を取り参加の希望をメールと治験管理室に電話をして、担当医師と連絡を取りました。
国府台病院にメールと治験管理室に電話をしたのが、1月4日(金)、入院前の診察日が1月18日(金)、入院が1月25日(金)と「あっ」と言う間に事が進みました。
と以上な経緯からでした。
入院前の診察も済み、いよいよ入院の前日24日(木)に成りました。
でも、雪が心配で午後9時半に家を出発しました。
国府台病院には、25日(金)の午前10時までに来てくれと言われていたので、安全の為に前の日の夜に行く事にしたのです。
真ん中の弟の運転で、父と私の3人で小千谷インターチェンジに向かいました。
関越自動車道に乗り、関越トンネルまでは雪でしたがトンネルを抜けるとそこは別世界、雪の無い世界でした。
新座料金所を出て、大泉JCから東京外環自動車道に入り、三郷(みさと)西インターで降りて国府台病院の駐車場に着いたのが、25日(金)の午前2時半でした。
1月25日(金)
朝になり、車の中で朝食を済ませ、午前9時に病院に入りました。
私は長い距離は歩けないので、玄関に用意してある外来用の車椅子に乗り、弟から押して貰いました。
父から入院受付で手続きを済ませて貰い、神経内科の病棟に向かったのでした。
国府台病院の神経内科の病棟は3階にありました。(第27病棟)
病室はナースセンターから一番遠い319号室で、4人部屋でした。
私は、寒がりなので窓側のベッドで良かったです。
「午前10時までに来て下さい」と言われて余裕を見て病棟に行ったのに、まだ私のベッドの用意が出来ていませんでした。
仕方ないので病棟に在る食堂で待つ事にしました。
その間に看護婦さんが家での生活の聞き取りをしました。
その結果、食事の時のご飯はお粥、おかずはきざみ食に決まりました。
私は、食事がスプーンで食べられると分かり「ほっ」としました。
午後12時になり、私の食事が運ばれて来ました。
父と弟は1階に在る食堂へ昼食を食べに行きました。
午後1時半になってやっとベッドの準備が出来ました。
ベッドの枠に「担当医:吉野」「受持看護婦:門井」とありました。
父が荷物の収納やベッド周りの事をやっている内に、私は弟から車椅子を押して貰い、肺活量の検査や胸のレントゲンを撮りに行きました。
私達が検査を終えて病室に戻ると、父と弟は帰って行きました。
午後2時半に吉野先生が来られて、血液採取と腰椎穿刺(髄液採取)を行いました。
腰椎穿刺はこれで3回目だけどやはり慣れません。怖いです。
しかし、吉野先生は慣れた手つきで素早く終わらせてくれたので「ほっ」としました。
その後、午後3時からラジカットを投与。(留置針を先に右腕に刺し、固定して行う。留置針は2週間刺したまま)
午後6時、食堂で夕食。(伝保さん、建川さん、の3人だけ)
午後8時過ぎ、洗面所で持参した電動歯ブラシを使い歯を磨く。
午後9時前に、顔を拭いて貰い靴下を脱がせて貰う。
午後9時、消灯。
やっと一日が終わる。でも中々寝付けない。それでも午後11時頃寝たかな?
1月26日(土)
今日からラジカットの投与は、毎日午前10時。
ここでいつも食堂で食事を一緒に摂るDさんの紹介をしたいと思います。
DさんもALSの患者さんで、歳は60歳代の元気なお爺さんです。
やはり今回の治療薬検討試験に参加されています。
発病したのは、平成3年で今12年目に成るそうです。
右手から発症したそうで、現在右手は動きません。
左手は私より良く動き本のページを簡単にめくって読書をされています。
球麻痺があり、時々むせます。言語も少し不明瞭です。
でも、普段は車椅子に乗って居るのですが、人の介助があれば歩くことが出来ます。
それもそのはず、入院前には家の裏に在る公園で毎日散歩されていたそうです。
また、椅子に立ったり座ったりの繰り返しや、椅子に座った状態で足を水平に伸ばしての維持等を毎日行っていたそうです。
Dさんには、息子さんがいて毎日、夕食事に介助に来ていて、時々話をさせて貰いました。
1月27日(日)
午前中は雨、でも午後からは嘘のように晴れた。
朝食後、他の病院から転院して来たIさん親子と知り合う。
私と入院した日が一緒でした。
Iさんの2人の息子さんは、筋ジストロフィーです。
でもお父さんもお母さんも明るい方です。
国府台病院には3ヶ月程いるそうです。
今日から寝る30分前に催眠導入剤を飲む。(消灯から2時間ぐらい眠れない為)
1月28日(月)
朝、起床時にトイレで採尿。
看護婦さんから私が入院する前に、やはり私と同じ様にインターネットで調べて、和歌山から治療薬検討試験に参加して帰った女性がいたと聞いた。
今日から寝る30分前に催眠導入剤と下剤を飲む。(便秘気味の為)
1月29日(火)
同室で私の隣のベッドに居たMさん退院。
代わりに隣の病室のFさんが来る。
ここで退院したMさんの紹介をしたいと思います。
彼は以前、長野オリンピック、スノーボード男子パラレル大回転の日本代表選手だったそうです
しかし、組織間同士のいざこざでオリンピックに出られなかったそうです。
そして彼は、昨年の12月まで国府台病院のALS医療相談室の助手をしていました。
自分もALSらしいと言っていました。
両手の指を張ると指が少し痙攣します。
また、両腿も上げづらいそうです。
今回は、急性気管支炎で入院したそうです。
退院した後は、何をするかまだ決まっていないけれども、少なくてもALSに携わっていた以上、ALSの患者さんの為に成る仕事に就きたいと言っていました。
今日の夕食後から毎食後アモキサンも服用。
(稀にではあるが、私みたいに絶えず鈍痛を伴うALS患者さんもいます。私の場合は、最初発症した右腕です。ボルタレンと言う少し強めの痛み止めを飲んでいるのですが、痛みは半減するぐらい)
アモキサンは、抗うつ剤なのだけれど痛みを取る作用が有るので使って見るそうです。
1月30日(水)
今日、1週間ぶりのお風呂。頭も洗髪して貰えてサッパリした。(頭はふけだらけだった)
後に成って洗髪は、担当の看護婦さんの手が開けばいつでもやって貰える事が分かった。
今日から催眠導入剤を止めた。(消灯からすぐ眠れる様になった為)
1月31日(木)
午前9時過ぎに湯浅先生(神経内科の部長)の回診。
私の病室は最後にいらっしゃいました。
湯浅先生は元新潟大学神経内科の助教授をされ、JALSA新潟の幹事として大変ご協力頂いた方だと聞いていたので、少し緊張して待っていました。
しかし、実際の先生は人柄が温かく、その言葉遣いから謙虚さも持ち合わせた先生の様に見受けられました。
また湯浅先生は、柏崎(私の住んでいる市)の刈羽郡総合病院にも居た事があるとおっしゃっていました。
午後7時、ソーシャルワーカーの長竹さんと話す。
私の発病から現在に到るまでの過程や、ALSの治療薬、治療方法等の話をする。
2月1日(金)
朝、朝食後検便の為トイレで便を取り、容器に入れ看護婦さんに渡す。
午前11時45分、父、母、一番下の弟が来る。
使い終わった下着類やタオル類を新しい物と交換して帰った。
2月2日(土)
同室で私の隣のベッドに居たFさん退院。
午後4時、受持看護婦の門井さんから頭を洗髪して貰った。
洗うツボを心得ていて上手い。(看護婦さんだから当たり前か)
気持ち良かった〜。
2月3日(日)
朝から雨。
午前5時過ぎ、小さい地震。
夕方、45分間トイレに入るもお通じ無し。
今日から寝る30分前に今までの錠剤型の下剤の他に溶剤型(製品名:ラキソベロン)の下剤を飲む。(錠剤型の下剤だけでは便の出が悪い為)
2月4日(月)
朝、点滴の前に体を拭いて貰う。
今日から7日(木)まで呼吸リハビリテーションプログラムを受ける。
午前10時、私の隣のベッドにKさん来る。(今週だけ検査入院)
午後1時25分、「ドクターコール」発令、場所は第30病棟。テレビドラマ「救命病棟24時」みたいな放送だったが、実際の病院で本当に有るのだなと分かった。
国府台病院の第30病棟から第36病棟(第34病棟は無い)までは精神科だそうです。
ちなみに4と9の数字の付く病棟は無いそうです。
午後2時、呼吸リハビリテーションプログラムを受ける為に車椅子に乗り、リハビリ棟まで看護婦さんから連れて行って貰った。
エレベーターで1階に降り、リハビリ棟に向かう廊下が非常に寒かった。
この廊下は別名、シベリア街道と呼ばれている。(納得)
夕方、1時間半トイレに入るもお通じ無し。これには困った、どうしよう〜。
今日は溶剤型(製品名:ラキソベロン)の下剤を数滴多めに服用。
2月5日(火)
昼食後にお通じがある。「ほっ」とする。
午後にDさん退院。リハビリ棟に行く前にDさん達に挨拶をする。
午後2時半、呼吸リハビリテーションプログラム。
午後8時前、小さい地震。
2月6日(水)
午後2時半、呼吸リハビリテーションプログラム。
午後3時半、1週間ぶりのお風呂。やっぱり気持ちが良い。
午後4時半、ALS医療相談室へボランティア相談員に行っている、川上純子(すみこ)さんが、私の病室まで来てくれました。
けれど、お婆さんの夕食の準備が有り、5時半に帰らなければいけないと言っていたのに、私が喋り過ぎて15分もオーバーさせてしまいました。少し反省。
2月7日(木)
今日のスケジュールはキビシイものがあります。
午前9時15分、最終点滴。この後、トイレで採尿。
午前10時45分、看護士さんが採血。
午前11時、最終呼吸リハビリテーションプログラム。
午後1時半、肺活量の検査。
午後2時半、吉野先生が来られて、血液採取と腰椎穿刺(髄液採取)を行う。
腰椎穿刺はこれで4回目だけどやはり慣れないです。怖いです。
しかし、吉野先生はまたまた慣れた手つきで素早く終わらせてくれたので、また「ほっ」としました。
午後4時45分、ALS医療相談室へボランティア相談員に行っている、もう一人の女性の吉本さんが、私の病室まで来てくれました。
吉本さんには私が昔、モータースポーツをやっていた事等を話しました。
川上さんも吉本さんも、私のどうでも良いような話や、専門的な話等に、嫌な顔一つせず聞いてくれて有り難かったです。やはり、お2人共、忍耐強いなと思いました。
そうでなければALS医療相談室へ、ボランティア相談員として行き続ける事は、出来
ないのだろうと思いました。
夕方、担当医の吉野先生、ソーシャルワーカーの長竹さん、呼吸リハビリテーションプログラムを行ってくれた理学療法士の寄本さん、3人に挨拶をする。
そして私は、入院最後の夜に友人達に電話をする為に初めて自動扉(ロビーから病室に入る所が、観音開きの様に開閉する)を通りました。
扉が閉まっている時間に廊下に出た事が無かったので、最初ドキドキしました。
でも結構面白いと思いました。
誰も居ないロビーに居ると何かウキウキしました。
これならもっと早く体験しても良かったと思いました。
また、この日初めて深夜勤(AM0:30−AM9:00)の看護婦さん達が自動扉を通ってナースセンターに向かう足音を病室から聞き、何か新鮮な感じがしました。
何故なら、私はいつもこの時間帯には熟睡していたからです。
2月8日(金)
退院日。
長いようで短かった2週間。
午前10時、隣のベッドのKさん退院。
午後1時、父と真ん中の弟が迎えに来る。
弟が荷物を車に運んでいる間に、私は車椅子に乗り父から押して貰い、お世話に成った看護婦さん達や、知り合いに成った患者さん達に挨拶をする。
そして、帰宅の途についた。
今回、2週間という限られた日数の入院の治療薬検討試験では、私には、残念ながら目に見えての効果は無かったみたいです。
けれども、今回の入院でALS医療相談室の川上さん、吉本さん、ソーシャルワーカーの長竹さんを始め、数人の患者さん達とも話ができ、色々な意味で有意義な入院生活でした。
また担当医の吉野英(ひいで)先生も、穏やかな人柄で良かったです。
これからもチャンスが有れば、こういう治療薬検討試験に参加したいと思いました。
終わり